私が「性」を学び続けてきた、本当の理由。
私は今、性教育やフェムケア、パートナーシップに関わる仕事をしています。
でも、私が「性」というものに深く関心を持つようになった原点は、
セックスそのものではありません。
もっとずっと昔。
私が小学5年生だった頃まで遡ります。
私には、9歳年上の姉がいます。
私にとって姉は、憧れの存在でした。
頭が良くて、多才で、
子どもの私から見れば「なんでもできる人」。
そんな姉が、ある時から突然、変わっていきました。
過食と拒食を繰り返すようになり、
それまで私が知っていた姉とは、まるで違う人のようになっていった。
幼かった私は、もちろん摂食障害のことも、心の病気のことも知りません。
ただ、
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
という思いだけが、ずっと心の中にありました。
そして、その頃の私は不思議なことを考えていました。
姉がいつか誰かに、
心だけではなく、
その身体ごと大切にされて、
「あなたは、そのままで愛されていい」
ということを感じることができたら、
姉の心は癒されるんじゃないか。
うつのような苦しみさえ、
そこから少しずつ回復していくんじゃないか。
そんなことを、小学生の私は本気で考えていました。
もちろん今は、
摂食障害やうつ病が「誰かに愛されたら治る」
というような単純なものではないことを知っています。
医療的な治療や専門的な支援が必要になることもあります。
それでも、あの頃の私が直感的に感じていた、
「心の傷と、身体と、愛されることは、
どこかでつながっているのではないか」
という問いだけは、ずっと私の中から消えませんでした。
そして大人になり、
心理学や性について学び続ける中で、
私は少しずつその意味を知るようになりました。
「性の悩み」は、
性だけを見ていても分からないことがあります。
幼少期にどのように愛されたのか。
安心して甘えられる場所があったのか。
大切な人との突然の別れを経験していないか。
自分の身体を尊重してもらえたのか。
怖い思いや、虐待的な体験はなかったか。
「愛されるためには、こうしなければならない」と、
無意識に自分を差し出してこなかったか。
そうした幼少期の喪失やトラウマ、愛着の傷つきが、
大人になってから依存的な行動や人間関係、
あるいは性的な行動や嗜好の偏りとして現れることがあります。
だから私は、
「性欲が強いから」
「性癖だから」
「本人が好きでやっているから」
それだけで片づけたくありません。
その行動の奥に、
「本当は何を求めているんだろう」
と考えます。
社会的にはとても成功している人。
仕事ができる人。
お金も地位もある人。
誰から見ても「満たされている」ように見える人。
そんな人が、
性やパートナーシップの領域では、
自分でもコントロールできないほど大きな苦しみを抱えていることがあります。
逆に、性欲がない。
触れられたくない。
身体を見られたくない。
パートナーと深くつながることが怖い。
そういう形で現れることもあります。
私は、どちらも「おかしい人」として見たくありません。
その人の身体や心が、
これまで生きてきた歴史の中で身につけてきたものかもしれないからです。
私にとって「性」は、
単にセックスのテクニックを教えることではありません。
性は、
身体のこと。
心のこと。
自己肯定感のこと。
愛着のこと。
人との境界線のこと。
愛すること。
愛されること。
そして、自分自身との関係のこと。
私はずっと、そう思っています。
最近になってようやく、
トラウマや愛着、身体感覚、依存、パートナーシップ、そして性を、
別々の問題としてではなく、つながったものとして語る機会が増えてきたように感じます。
それを見るたびに、
「やっと、ここまで来たんだ」
という気持ちになります。
何かが流行っているから、
私がこのテーマを語り始めたわけではありません。
私の中では、
小学5年生のあの日から始まっていました。
大好きだった姉が苦しんでいる姿を見ながら、
「人は、どうしたら自分の身体ごと愛せるようになるんだろう」
「どうしたら、安心して誰かとつながれるんだろう」
「愛されるという経験は、人の心や身体に何を起こすんだろう」
と考え続けてきた。
あの頃は、それを説明する言葉を持っていませんでした。
でも今は、それを探究するための言葉も、知識も、経験も少しずつ増えてきました。
だから私は、
性のスペシャリストになりたいと思っています。
ただ性行為について詳しい人ではなく、
その人の「性」に現れているものの奥にある、心や身体の声まで見られる人になりたい。
誰にも言えない性の悩み。
繰り返してしまう行動。
パートナーとのすれ違い。
自分でも理解できない欲求。
触れられることへの怖さ。
愛されたいのに、愛されることが怖いという矛盾。
そういうものを、
恥ずかしいこと、汚いこと、異常なこととして切り捨てるのではなく、
「なぜ、この人の人生にこれが必要だったのだろう」
というところから一緒に見ていきたい。
性は、人間のとても深い場所にあります。
だからこそ、
そこにはその人が生きてきた人生が表れることがある。
そして私は、
その場所に丁寧に触れることで、
人がもう一度、自分の身体と心を取り戻していくお手伝いがしたい。
これは最近思いついたことではなく、
ずっと、ずっと私の中にあったもの。
私が性の大切さを伝え続けている理由。
性とは 心を生きるということ
そしてこれからも、
探究し続けたいと思っている私の原点です。
